「写実主義」的な歌詞 〜現代に生きる明治の心〜

明治時代に正岡子規という人がいた。子規は明治の文豪・夏目漱石を友人としていたことも有名だ。その子規は「写実主義」という思想を持っていた。すなわち「見たままを俳句、短歌にする」ということである。「見たまま」が書かれた俳句によって、読んだ人はその情景を克明に映し出すことが出来、さらにその情景に隠された「心情」を読み取ることができる。
写実主義」という観点を持って、現在のJ-POP音楽の歌詞をいくつか例をひきながら考えてみる。
まずは、ゆずの『サヨナラバス』の歌い出しから引用すると、

予定時刻は6時 あとわずかで僕らは別々の道 
君は僕の少し後ろ 涙ぐんで下を向き歩く
(中略)
また笑って話せるその日まで
僕は僕らしくいるから
       作詞:北川悠仁

具体的だ。言葉からはっきりと情景をイメージすることができる。迫り来る別れを予感させる。別れを惜しむ彼女の様子も描かれている。この歌い出しのフレーズで聴き手をひきこむことができるのだ。「ゆず」はさりげない日常を歌詞にするのが非常に上手いと思う。


次に昨年から今年にかけてロングヒットしたアンダーグラフの『ツバサ』の歌い出しから引用する。

明け方過ぎの国道までの 細い抜け道 君が呟く
「恐いものなど何も無いよ」と
見送るための言葉に涙流れた
(中略)
夢を手にして 会えたなら共に笑おう
       作詞:真戸原直人

この歌詞からも具体的に情景がイメージできる。この曲も別れの曲だけど、薄暗いなかで彼女と一緒に歩いている様子がイメージできる。そして彼女の言葉で涙を流す様子も具体的に書かれている。


別れの曲が続いたので、ちょっと明るい曲を選曲しよう。
次は、Mr.Childrenの『youthful days』から引用する。

にわか雨が通り過ぎていった午後に 
水溜りは空を映し出している
二つの車輪で僕らそれに飛び込んだ
羽のように広がって 水しぶきがあがって
君は笑う 悪戯にニヤニヤと
僕も笑う 声をあげ ゲラゲラと
(中略)
ただ二人でいられたらいい
          作詞:桜井和寿

これも言うまでも無く具体的だね。はっきりと情景をイメージできる。彼女と自転車(バイク)で2人乗り、水たまりに飛び込んだら水しぶきが舞った。けど、そういうたいしたこと無い状況でも、彼女となら笑い合える。他愛も無いことでも笑い合える。そんな情景をイメージできる。


今回紹介した3曲の歌詞は全て「歌い出し」部分の歌詞なんだ。すなわち聴き手に対する「つかみ」の部分で、具体的な歌詞を提供することで、聴き手を一気にひきこむことができる。
引用した3曲での(中略)以降の歌詞は、その曲で「作詞した方が言いたいことだ」と僕が思った箇所を選んだ。もう既に聴き手は歌い出しの部分で歌詞の世界にひきこまれているから、「言いたいこと」もスッと頭に入ってくる。すなわち、最初に聴き手に具体的なイメージをもってもらうことで、本当に伝えたい部分、すなわち「サビ」の部分で一気に聴き手のハートを奪い取ることができるのだ。この3曲の歌詞の世界は非常にバランスがとれていて素晴らしいと思う。
俳諧に大きな影響を与えた正岡子規の思想「写実主義」は、現代のJ-POPシーンにも息づいている。俳句ではなくて歌詞の世界だけど、「写実主義」は確実に根付いている。そして、「写実主義」は現代の日本人にとって、非常に受け入れられやすく、用いられやすい思想なのだ。シンプルだけど奥が深い、そんな曲がたくさん生まれてくれたらいいなあ。
そして僕もそういう文章が書きたい。