会話を楽しめなかった自分

おそらくここ3年位だと思う。
顕著に現れてきたのは就職してからの2年間だったと思う。


いつしか心から会話を楽しめない自分が居た。
外面だけでしか会話していなかった。
本来見せるべき内面は殻に覆い隠してしまっていた。


自分が心を開いていないのに、相手が心を開いてくれるはずがない。
約4年前に別れた彼女とも、そして自分の家族にさえも本来の自分を見せなくなっていた。
見せるのが怖くなっていたのだ。


親からは「そろそろ結婚したらどうだ?」と言われると、
「どうせ死ぬ時は一人なんだから、そんなの必要ないよ」
と突っぱねた。
ホントは愛し愛されるといった家族を求めているのにも関わらず、意固地になってしまい頑なに否定してしまった。
自分の内面を守るために妙な理屈をこねて、さらに自分を閉ざしてしまう。


本当は子供が欲しいのに
「地球の100年後は環境破壊とかで破滅だから、子孫なんて作るだけ無駄」
とか、変な理屈をこねて、「子供はいらないんだ」と言ってのけてしまう。
いつしか、前の彼女との会話もこんな感じだった。
別れたのは仕事のせいじゃなく、僕の人間的な弱さのせいだったと思う。


今になって大事なことに気がついた。
このままだと、僕には寂しい「死」が待っていることに気がついた。
僕が死んでも、心から泣いてくれる人はいなくなってしまう。


それではあまりにも寂しすぎる。
一瞬、仕事人間になってやろうかとも思った。
製品開発の仕事自体は好きだし、仕事一本で生きようかと思った。


でも、正直、今の仕事を僕が辞めたとしても、他の人が引き継いでくれる。
僕の代わりはいくらでもいる。
だとすると、余りにも空しい。


自分が死んだ時に心から悲しんでくれる人、そんな人を僕はこれから見つけなければならない。
そしてそれは、心から愛し、愛されることができる人。
そんな女性を僕は探してみようと思う。


外見でもなく、他人に見得を張るでもなく、自分が安らぐことができ、そして相手にとって自分が安らぎとなることができる女性。


まずは心から会話を楽しむこと。
そう、それが第一歩。
失われた自分を取り戻さないといけない。






※こんなこと書くのは少し恥ずかしくもあったのですが、こう書いてみることで自分に対する「決意」みたいなのができました。
長文を読んで頂いて、有難うございました。